以前このブログで記事にしたのだが、私はサザエさんの原作が非常に好きだ。
しかし、サザエさんの全てが好きなわけではない。特にアニメ版では原作と乖離し過ぎた面があり、正直好きではない面もある。
その一つがカツオ君に対する家族の閉鎖的な考えである。好奇心大せいなカツオ君が何か新しいことを始めようとしたり、人とは異なることをしようとすると基本的に磯野家の人間は否定的な態度をとる。
また、周囲の人間もカツオ君が何かをしていたなどの報告を磯野家に入れる。まるで監視社会のような閉鎖感はカツオ君の長所を消してしまいやしないかと私はカツオ君の将来を心配することがよくあった。
ただ、最近はそれはカツオ君に易きに流れない思慮深い人間になって欲しいという親の想いがあったのではないかと考えるようになった。
そこで今日は磯野家の教育方針について私が見直したことについて話していく。
目次
主人公が何か企む⇒結局親や上司に怒られるパターンばかりの日曜アニメは誰かの陰謀?
私が子供の頃、日曜日のアニメでは『主人公が何か企む⇒結局親や上司に怒られるパターン』のアニメが連続で放送されていました。
・ちびまる子ちゃん:まる子が何か企む⇒ばれる⇒お母さんに怒られる
・サザエさん:カツオが何か企む⇒ばれる⇒波平に怒られる
・こちかめ:両津が何か企む⇒ばれる⇒部長に怒られる
おいおい、これは明日に学校を控える子供たちに大人の言うことをきかないとえらい目に遭うぞって大人たちが仕掛けたんじゃないかと疑いたくなるものばかりでした。なので私はいつも胸糞が悪い気持ちで週末を過ごしていたことを覚えています。
結果的には悪いことかもしれないけど、なぜそれがダメで、どうすれば良かったのか。また、なぜそれがダメかを説明したり、どうしてそれをしようと思ったのかを聞くなどのことをしない頭ごなしの姿勢。ひどい時には暴力でわからせたりするなど、今にして思うと教育方針としてどうなの?と首をかしげたくなるものが多かったです。
良くも悪くもそれらは日本の教育スタイルを表しており、こういうパターンが一般化してしまうことは何か新しいことをしようとする子供を生み出せないだろうと私は思います。
またそのことをなんの違和感もなく受け取れる人が多い(長寿番組になっていることがそれを示している)というのは日本の教育においてよくないのではなと私は考えます。
伊集院光さんのラジオから読み解く波平・フネが抱くカツオへの不安
私は今でも繰り返して聴く『伊集院光の深夜の馬鹿力』の神回があります。
それは伊集院光さんがサザエさんとのじゃんけんの結果によって縄跳びダイエットの回数を決めるというものでした。
その中で作中にじゃんけんで何を出すかヒントを出しているのではないかとの疑いからサザエさんを伊集院光さんが観たという話があります。
その中でイクラちゃんに相撲ブームが来る回について触れています。
イクラちゃん相撲を見て相撲をしたくなる⇒ノリスケさんと勝負して勝つ(もちろんわざと)⇒たらちゃんと勝負するが負ける(わざと負けろというサザエさんの提案をたらちゃんは拒否してガチンコ相撲をした姿勢は伊集院光さん曰く当時の相撲界の八百長問題へ一石を投じているとのこと(笑))⇒カツオがイクラちゃんに負けてあげる⇒たらちゃんとカツオが勝負してカツオが勝つ(たらちゃんは再びガチンコ相撲を要求する)⇒イクラちゃんが訝しむ(自分が勝ったカツオに、自分が負けたタラちゃんが負けるはずがない)⇒イクラちゃんが八百長に気づく
という流れである。
重要なのはカツオが調子よく負けてあげてしまう点だ。伊集院光さんはカツオは調子よく八百長に加担して後に永久追放になるタイプと称しているがここが波平さんとフネさんがカツオに対して危惧している点だろう。
イクラちゃんに負けてあげることとタラちゃんに勝つことを同時に犯した時にどういったことが起きるのか。それぞれの局面では良いことでもそれが同時に発生してしまうと矛盾が生じてしまい自分が困ることになる。
カツオ君のノリの良さは長所の良さでもあるが、安易にそういったことを積み重ねるといつか自分が痛い目にあい信用を無くしたり、責められることもありうる。
そういったことを心配した親心がカツオ君に安易に新しいことをさせない教育方針に繋がっているのかもしれません。
まとめ
私は前述した通り、日本のアニメの中に当たり前のようにある閉鎖感が好きになれないときがあります。
しかし、それらは何も悪いことばかりを示しているわけではありません。
国民的な番組になる背景には多くの人にとって大切な学びや教訓になるものの含まれているでしょう。
物事の一面だけを見て嫌悪するのではなく、様々な面を見ていけば今回のような違った発見があるでしょう。
それでは、さようなら!